IT業界、特にERP界隈において「SAPができる」という事実は、この10年間、最強のプラチナチケットであり続けました。右肩上がりの年収、止まらないスカウトメール、そして「2027年の崖」という名の特需。
しかし、2026年という「終わりの始まり」の年に立つ私たちは、冷静に過去を総括し、次の10年を生き抜くための武器を研ぎ直す必要があります。本記事では、過去10年の年収遷移を振り返りながら、これから訪れる**「スキルの淘汰」**について深く掘り下げます。
過去10年間のSAP従事者年収遷移:なぜ「1,500万円」が現実になったのか
この10年、SAPコンサルタントやエンジニアの年収は、他のIT職種を圧倒するスピードで上昇しました。その推移を3つのフェーズで振り返ります。
2016年〜2018年:静かなる予兆(年収目安:700万〜900万円)
この頃、主流はまだ「SAP ERP 6.0(ECC 6.0)」でした。S/4HANAは登場していたものの、「まだ先の話」「安定のECCで十分」という空気が業界全体に漂っていました。年収水準も現在ほど突き抜けてはおらず、熟練のコンサルタントで800万円台、若手なら500〜600万円という、「高給だが常識の範囲内」の専門職でした。
2019年〜2022年:「2025年の崖」と争奪戦(年収目安:900万〜1,200万円)
経済産業省の「DXレポート」が火をつけ、SAPが打ち出した「2025年保守終了(後に一部2027年まで延長)」のアナウンスが業界に激震を走らせました。 数千社にのぼる日本企業が一斉にS/4HANAへの移行検討を開始したことで、市場からコンサルタントが蒸発。この時期、転職するだけで年収が200万〜300万円上がる事態が常態化し、**「SAPコンサル=年収1,000万」**がスタンダードになりました。
2023年〜2026年:バブルの絶頂とフリーランスの爆増(年収目安:1,100万〜1,500万円以上)
プロジェクトがピークを迎え、もはや事業会社やSIerは「背に腹は代えられない」状態に陥ります。月額単価200万円を超えるフリーランス案件が当たり前のように転がり、それに引きずられる形で正社員の給与体系も底上げされました。特に、単なるバージョンアップだけでなく、業務改革(BPR)を伴う新規実装ができる人材には、1,500万円以上の提示も珍しくありません。
年収を押し上げた「3つの正体」
なぜ、これほどまでに報酬が高騰したのでしょうか。そこには3つの構造的変化がありました。
- 「バージョンアップ」という名の強制イベント: 保守期限というタイムリミットが、価格交渉権を完全に受注側(コンサルタント)に持たせました。
- 「RISE with SAP」によるクラウドシフト: クラウドネイティブな構成やセキュリティを理解する人材への需要が爆発し、スキルの希少価値がさらに高まりました。
- リモートワークによる「地理的障壁」の消滅: 地方にいながら都心の高単価案件に参画できるようになったことは、個人の平均年収を底上げする決定打となりました。
警告:次にくる「スキルの賞味期限」
2027年の移行ピークを過ぎた後、市場には**「スキルのデフレ」**が訪れます。今後価値が急落するスキルと、逆に天井知らずで価値が上がるスキルを、その理由とともに解説します。
【賞味期限:短】レガシーなABAP開発と「Z地獄」の構築
〜「作れば作るほど嫌われる」時代の到来〜
かつてのERP導入は、標準機能に足りない部分を「Zプログラム(アドオン)」で埋め尽くすのが美徳とされてきました。しかし、S/4HANA Cloudの普及がその常識を破壊しました。
- なぜ価値が下がるのか: SAPが掲げる**「Clean Core(クリーンコア)」**概念により、中核を汚すアドオンは「アップグレードを阻害する悪」と見なされるようになりました。
- 現場で起きる変化: 今後、無理なアドオンを組む開発者は敬遠されます。また、ABAP Cloud用生成AIの進化により、「コードを書くだけ」の価値は急速に失われています。
以下の図は、過去のレガシー開発と、未来のモダンな開発構造の違いを視覚化したものです。

【賞味期限:中】単なる「パラメータ設定屋」
〜「設定」はAIとベストプラクティスが代替する〜
「IMG(導入ガイド)のどこを叩けばどの帳票が出るか知っている」といった、設定知識のみで食ってきたコンサルタントも厳しい立場に置かれます。
- なぜ価値が下がるのか: SAP Activateなどの導入手法により、「標準の型(ベストプラクティス)」をベースに導入するのが当たり前になったからです。
- 現場で起きる変化: 単なる設定作業は、SAP自身の自動設定ツールやAIによって、「指示を出すだけ」で完了するようになります。「やり方(How)」を知っているだけの人の単価は、確実に下がります。
次の図は、コンサルタントに求められる価値が、過去と未来でどのように逆転するかを示したものです。

【賞味期限:なし】2027年以降も「奪い合い」になる高付加価値スキル
一方で、年収1,500万円水準を維持し続ける人材は、以下の「代替不可能なスキル」を備えています。
- SAP BTP(Business Technology Platform)のアーキテクチャ設計 これからは「ABAPを書く」のではなく、「BTP上のどのサービスを使い、どう本体と連携させるか」という全体設計が主戦場になります。
- 「Fit to Standard」を完遂させる人間力(説得の技術) 「今の業務と違う!」と叫ぶユーザーを、論理と情熱で説得し、標準機能へ導く能力。これはAIには不可能な、極めて人間的なスキルです。
- AI(Joule)を前提とした「次世代業務プロセス」の描き方 生成AI「Joule」が登場し、業務の形自体が変わります。AIと人間が共生する新しいワークスタイルをデザインできる人材は、これからの10年の主役となります。
以下の図は、2027年以降も市場価値を維持・向上させる「無敵のスキルセット」をベン図で表したものです。

まとめ:これからのキャリア戦略
S/4HANA移行特需という「ボーナスタイム」は、間もなく終了します。2027年以降、市場は「数」の時代から「質」の時代へと明確にシフトするでしょう。
10年前の私たちが「ECCの知識」だけで食えていたように、今の私たちが「S/4への移行経験」だけで一生食える保証はありません。私たちがすべきことは、高騰した年収に胡座をかくことではなく、得られた報酬を**「次世代スキル(BTP、AI、ビジネスアーキテクト)」**への自己投資に回すことです。
特需が終わった後、「あの人はバブルの徒花だったね」と言われるか、「やっぱりあの人は本物だ」と言われるか。その分岐点は、今この瞬間の学習習慣にかかっています。

コメント